円光院

お日さま号

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大悲山円光院明王寺はボロ市の入り口にあって、日ごろ「円光院さん」と親しまれているお寺です。お隣の交番で「明王寺はどこですか。」と尋ねても、すぐに答えは返ってきません。
門前の左に、天文六年(1537)の銘のある「武州荏原郡世田谷郷」の碑があり、世田谷城との深い関わりを示しています。また右には、明治百年を記念して建てられた「桜小学校発祥の地」の碑が在ります。明治の新しい時代の要求に、いち早く反応して学習塾を開き、地域の教育に大きな貢献をしたことを物語っています。
この寺の住職兼幼稚園々長の小林重徳和尚さんは、祖先の遺した行跡を継いで幼稚園を開きました。永年盆栽を愛好して来た和尚さんは、生き物を育てる楽しさと難しさを、身をもって知り尽くしています。
幼稚園を開いて数年の間、通園にむずかる子、笑いのない子、園が終われば駆け足で帰る子に頭を痛めていました。「何とかこの子供達に夢と希望を与え、楽しく学ばせる方法はないものか。」と、思案していました。その解決案が全国初の幼稚園列車設置となって実現したのです。
和尚さんの語る言葉に耳を傾けると、
『戦後まもない昭和24年のことです。小学一年生の私は、遠足で上野動物園に行きました。正門を入った右側に、一週60~70m程の線路があり、機関車の煙突に猿がつながれていて、ドラムの上をピョンピョンと跳ねていました。「お猿が汽車ポッポを運転している!」と、誰かの声に皆んなビックリ目を丸くして見とれていました。あの時の光景は、今でもまぶたにはっきりと浮かんでまいります。その幼い頃の体験から、列車「お日さま号」を発案し設置したのです。これが計らずも園児達に夢と希望と笑顔を与え、父母達にも喜ばれました。
なお、「お日さま号」はたんなる道具はなく、子ども達に生涯を通じて必要な、交通ルールやマナーなどの基礎を楽しみながら学ばせると言う目的もありました。友達同士のゆずりあいや、年少の子への思いやり等の、安全教育、情操教育の場として、「お日さま号」に活躍してもらっています。』と。
今、円光院の門前を通る人は、可愛らしい列車と子ども達の歓声に、思わず顔をほころばせて足を止め、和尚さんの素晴らしい創意を讃えているのです。

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