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お寺の歴史

本尊は不動明王、新義真言宗に属し世田谷吉良氏の祈願所として室町末期の天正年間(1573-1591)に盛尊和尚によって創建された寺であると伝えられています。
 

当時の建物には、朱塗りの山門、本堂、閻魔十王堂、庫裡等があったと言う記録があり、盛んな様子が偲ばれます。

江戸時代末期に書かれた「新編武蔵風土紀稿」には「新義真言宗ニテ同村勝国寺ノ末ナリ、大悲山明王寺ト云フ・・・吉良氏ノ盛ンナリシ頃、櫓ノアリシ蹟ナリト云フ・・・」と書かれていますから、世田谷城主吉良氏の信仰によって建てられ、その滅亡によって衰微したことが知られます。

その後、明治初期の廃仏廃釈運動や神仏分離令のために、廃寺の運命にまで至りましたが、吉良氏の祈願所、代官大場家の信仰の寺としての由緒を惜しむ壇家の強い要望によって再建され、今日に至りました。

山門にはいると、左手に「武州荏原郡世田谷郷」の石碑があって、古い歴史を止め、また、右手には区立桜小学校発祥の地の記念碑が建てられています。「邑ニ不学ノ子ナク」の時代の要求に応えて、いち早く学習塾を開き、地域の皆さんに貢献したことを示しています。